7/18(火)、シネマe-ra浜松で『映画 夜空はいつも最高密度の青色だ』を観る。
「映画」は『 』の中に入っている。

最果タヒ(さいはて たひ/1986- )の4番目の出版詩集『夜空はいつも最高密度の青色だ』を基に石井裕也が監督・脚本。
叙事詩ではないので、詩には物語もないし登場人物もいない。あるのは、感情や観念といったものを表わす言葉のみ。
それを映画にしたというので、まず驚いた。

脚本化の手順について、実際のところは知らないが、詩の表わすイメージを梃子にして、その間を歩き、生活する人達を作り出した、そこから始めたのではないか。
主人公の女と男、そして彼等を取り巻く人々。
主人公の口から、最果タヒの詩がこぼれてくる。

美香;看護婦、夜はガールズバーでバイトをしている。
慎二;建設現場の日雇い労働者、左眼が見えない。
共に20歳代。
他に、美香の看護婦仲間、実家の家族。慎二の現場関係者、アパートの隣室の老人。2人の元カレや元カノ等。そして、街角のストリートシンガー。
クレジットカードに現れない重要な登場人物は、「東京」という大都会。

主人公の職場で、またはその周囲で交わされる言葉の空疎な事。
2人の喋る言葉も含め、それらは数だけは多いが、互いに内に入ってくる事はなく、コミュニケーションは成立しない。
ある列の後ろに並ぼうと見ると、その列の全員がスマホの画面を見ている。
スマホの中に氾濫する、名前なき言葉。物陰に隠れれば、どれ程の事も言える。まるで裁判官のように、人を断罪しようとする言葉。
そして、誰に向けられたのでもない、浮遊する独り言。
会話になる事はなく、ただイイネの数!だけで安心できる(ような気になる)。
淋しくて夜の渋谷や新宿をふらついてみるが、酔っぱらって帰った翌日の虚しさ。